風景の中の自分の気配

 また古い写真を引っ張り出しちゃったよ。

----まぁ1週間くらいの制約ありな「基本・テント泊」で、
シンプルに「寝られりゃぁ良いのよ」ってスタイル。----


前回の記事で書いている、その時のひと風景。

自分の本稿「往来眺眼装置」の中の
「旅往来記〜東北往来」 (.....また誘導してる?)
と云う頁で書いているのだけど、
東北廻りで毎回の様に訪れていた、お気に入りのキャンプ場での写真。

向こう側に白い立派な校舎が建って、些か人の気配が感じられる様になったけど、
初めて行った時は、木に埋もれる様に小さな木造校舎が建っていた。



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小雨が降る夕方だ。
テントとバイクのポツンさ加減を確認。
毎回同じ木の側にテントを張ってたのね。
(ホント、何処でも大抵ひとりだったし。)

ついこの前の様な気分でいるけど、それなりに月日は流れてしまって、
「気持ちだけは置いてきた。」などと云う、誰かの台詞の様な思い。
そんな気持ちを持っている内に、また訪れたいとは思っているのよね。
なかなかね、実現しそうに無いんだけど。 う〜ん.....。


 カメラ云々より、ネガフィルムの問題だと思うんだけど、
この頃からのネガは結構綺麗に残っていて、スキャンし直した時に処理が楽だった。
確かに少しグレードを上げた記憶はある。
拘りは「ISO-100」 頑なにそれだけは守られていた。
(だから今でも露出計算が、ISO-100を基準にしないと出来ないの。)

ネガフィルムってラチチュードが広いので多少のズレは許されるし、
スキャンした時もやりやすいからやっぱり好きだな。
ポジよりも自分の見た感じに近い様な気がするんだ。(眼、おかしい?)
.....すっかりデジタル撮影ばかりになってるんだけどさ。

*珍しく写真をクリックするとやや大きくなります。
  違う画像は出ないのでご安心下さい。
 (え?)



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#ライカ#銀塩カメラ#ツーリング#キャンプ#風景#旅