少年時代の思い出から得たもの

 先日義母が亡くなってから、娘さんは唯一残ってくれている我が老母に、
やたらと逢いたがるんだけど、私の休みは平日なので、なかなか機会が無いの。
小学校を1日くらい休んでも良かろうとは思うんだけど。

 我が老母もあと何年元気でいてくれるのかな?
そこに至るのが緩やかな坂なのを願ってはいるけれど、
それが「何時」なのか判らないものねぇ。

てなことで、我が亡き父親の思い出的な話。



Mochi_20111230-3



 私の実家では、年末になると、お正月のお餅つきをしていたの。
古い臼と杵と蒸籠窯等々があって、小中学生の私は蒸籠窯の火の担当だったわ。

親戚に配ったり、欲しい方に売ってもいたので、
結構な量をついていたから、米状態から捏ね始めると大変。
そこで、1枚目の写真の「味噌切機」という機械を使ってたの。
 (本来は茹でた大豆を潰して擂り身にしていく機械ですな。
  因みに、ずっと家に存在していたこの機械の名前を、
  写真で確認するまで解ってなかったんだけどね.....。)




Mochi_20111230-4



田舎でも餅つきなんてしない家の方が既に多かったし、
臼と杵なんて貴重品でしたけど、確かこれは昭和30年代製だったかな?
古くからの旧家でも何でもない家だけど、そういうモノをギリギリまで使っている家でしたわ。
 (お風呂もずっと薪で焚いてた様な家で、ワタシャ御蔭で薪割りが得意。)

近所の親戚が手伝いに来てくれて、ドンドンついていく。

この頃の我が父親は、食道癌になった時の抗癌剤使用で腎臓を痛めてしまい、
透析しながら頑張っていた日々。やっぱり杵を振るうのは出来なくて、
その分お餅をひっくり返してるの。 やらんでも良いのにさ。



Mochi_20111230-7



熱々のつきたて餅を枠に伸して行く。
冷えて固まったら、適当な大きさに切っていく。
相方さんと倅さんも手伝ってました。
 (これが最初で最後の餅つき参加になっちゃったの)

1cmくらいの厚さ・10cm〜15cmの長さに切ったものは、
油で揚げると「かき餅煎餅」になるので、
正月から春先までのおやつはずっとそれだったわ。



Mochi_20111230-13



 我が父は、最後は結局癌が再発して亡くなったのだけれど、
 (その辺の話は以前も書いてますけどね_記事No,275)
この長く続いた餅つき行事もそれで終しまい。
家を出て好きに生きてきた私には、何も言えません....。

ただ自分の家で餅米を作って・ついて・食べてって、今思うと「間違いの無い贅沢」
もう経験出来ない事になっちゃったんだねぇ。



 <今日はこんな思い出話をしてしまいましたぁ!>


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#ライカ#餅つき#思い出