僕は単なる子供だった _(21)

 美術館内は、一般的に写真撮影は禁止よね。
当然ながら今回の企画展も殆どが撮影禁止だったので、
土方重巳さんがどんな作品を書いているかは「Google」って下さい。

前回も書いてるけど、
「今回は企画展のみですからね。」
と云う事を説明されてからの入館。
小学生は無料なので、宜しいんじゃないの?

そして土方展の第1接近遭遇(?)で父親(私)は1人声を上げた!



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「これ、子供の頃に乗ったんだよ。町の薬局の前に在ったの。
(娘)のひいお爺さんに連れられて、買い物している間に待たされてたの。」

かすかな私の祖父との思い出。

お爺さんは小学校に上がる1年前に亡くなったので、5歳児のおぼろげな記憶。
遊園地なんて近所に無いし、連れて行っても貰えない、田舎のガキンチョのお楽しみ。
実際に何回くらい乗ったのか判らないけど、1回10円で3分位だったのかしらね。

田舎の三桁国道沿いの、歩道も碌に無い店先に置かれていて、
川砂を運んでいたらしいダンプカーが、ひっきりなしに通ってた。
店はもう営業していないけれど、こんな所に置いてあったの!? 
ってな場所だった。 想像してみて!

う〜ん、長閑だったねぇ〜......。



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 毎日自転車で、あっちの家こっちの家と親戚宅をぐるぐる訪問してた。
「お爺さん」なんだから、それなりな歳かと思ったら、亡くなった時に60歳だったと聞いて驚いた。
何だか身体の調子がそんなに好くなかった様で、
私の産まれた位(55歳?)から、ほぼ隠居だったらしい。
.....そりゃぁ、親父様の負担は重かったわね。


 毎日一緒に居て、何時もお守りをして貰っていたのにさ、5歳の記憶なんて殆ど無い。 
自転車の後ろに乗ってたのと、買って貰ったらしいおもちゃが少々あった事。
 (いつの間にか捨てられたり譲られたりしていて、結構悲しかったよ。)
可愛がって貰っていたらしいのに、声も覚えていないの。

まだ町にあった火葬場で、外で従姉と遊ばされてる内に居なくなっちゃったんだ.....。



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私の親父さんが60歳になった時に、
「父親の年齢を超えたよ。」と言っていたのを思い出す。
だから私も、あとウン十年以上は元気で居ないとイケナイわ。

.....あぁ、サトちゃんを見て、こんな思い出に耽る人って居るのかしらね?



 <もう少し続く>






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