年齢を経たから好奇心が薄れていくなんて信じられない _(16・終)

 「SWC(Hasselblad)で....」
と云う今回のカテゴリーなのだけれど、最後はNikon F2とLeica M4-Pでの銀塩写真での纏め。

まだまだデジタルなんてモノは「何それ?」状態だった時代。
それでも撮影当時には、既に前時代・前々時代なカメラだったわ。
まぁリアルタイムでは、とてもとても手に出来なかったからだけど、
思いきって手にしたカメラだった。
 (M4-Pは、M6Classicそして(新)MPへと替わっていった。)

 丁度、大型二輪免許を取ってBMWに乗る様になって(生意気なガキ?)
毎年の様に東北を旅した頃。 いずれにしても20年経ってしまった写真ね。



ouhoku_1999_057_1200p



前回も書いたけど、この写真たちは私的サイト、
「往来眺眼装置」と云う所に掲載してあるからね。
 (う〜ん、気が向いたら覗いてみて....。)

家族旅行なのに、ワタクシ的気分で北方向に行っちゃうのが何ともね。
皆行った事無いし、多分今後も行く機会は少ないだろうからイイダロ!
そう思ってたら、我が老母は何だかんだで「来た事ある」とか云うんだよ。
ホント、いつの間に。



touhoku_1996_257_1200p



今は亡き父親と、旅らしき旅を出来ぬままに機会を逸していたので、
なるべく母とは年イチくらいとわいえ出掛けるのだけれど、
もし、鉄道移動がOKだったら津軽に行こうと思ってたの。
父親と行こうとしていて果たせなかったから。
流石にそっちの方までは行ってないって話だし。

.....でも、多分もう行けないだろうな。
駅の移動がツライって云うし。



touhoku_2001_009_1200p



実際、鶴ヶ城にやって来て、老母はお城を見に行ってないんだよ。
来た事あるとは云ってもさ、ただ、隣の博物館で涼んで待って貰ってたの。
さざえ堂まで歩いてくれただけでも頑張ったんだ。
まぁ、孫と一緒に旅行に行けたと云う事でね。

さて、全く写真について触れてないんだけど、
だからそれはもう上記の私的頁にて書いてるから。(酷いなぁ)

.....なんてな。

何時も白河関に寄って、猪苗代湖から背あぶり高原を越えて鶴ヶ城にやって来た。
大体3時間から4時間位だったかな? 此処で休憩。
でも天守には一度も入らなかったの。(臍曲がりだけんね。)



touhoku_1996_271e_1200p



 まだ当時は芝生の広場に入れたんだ。
そこで子供達は遊んでいたし、座ってお城を眺めてる人達もいた。

今は芝の養生の為か、地下に眠る史跡保護の為か、
芝生には立ち入れないし、石垣も登れない所が増えてたし、
大河ドラマに取り上げられる前で、瓦は赤くなかったの。

初めて訪れた時に、遊んでいた保育園児の彼は、
今はもう30歳近くかしらね。 だから載せちゃったんだけど。



touhoku_1996_277e_1200p



 自分1人でフラフラしに来た場所。
その時、母は、今の私の歳くらいだったのかな? もうチョイ上か?
そして、我が倅君も生意気な中学生になってて、
その内フラフラし出すのかな? (止めろとは云えない....)

何時の間にやら、時の経過を気にする様な年齢になったと云う事なんだよね。
それ程毎日を大事に生きてないんだけどさ。 まだまだ若造だから。

自分は子供に何処かに連れていって貰える様な老父になれるんだろか?
う〜ん.....。 あんまり自信が無いなぁ。

そんな事を感じた家族旅行なのだ。


.....阿呆な私は、皆で一緒に写真を撮るという事を忘れるという、
どうしようもないボケをしてたのだ。

長生きして、また次の機会をね、母上サマ。



  <お終い>


私的頁リンク
 「往来眺眼装置〜旅往来記〜東北往来」


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